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ڡ 2008ǯ 01 07 07時49分38秒˹ޤ
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Benesse教育情報サイトの「オンライン投票」、今回の投票テーマ「「小学校英語の必修化」どう思う? 」の投票結果です。
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「小学校英語の必修化」どう思う? 学校から英語の授業を導入する方針が固まりつつあります。 これについて、あなたはどう思いますか?ぜひコメントも投稿してください!
吸収力の高いうちから外国語は学ぶべきだと思います。韓国でも小学校から外国語があります。私自身は、たまたま下敷きで持っていたローマ字表を良く見ていただけで役に立ちました。
まず国語力をつける。英語の授業のない今ですら課外のお稽古として英会話の学校がはやっています。結局授業で英語がなされると別にそのような学校に行かざるを得なくなりそうで困ります。
語学は早ければ早いほど、覚えることができると思う。ただまともに教える事のできる教師はほとんどいないのでは?
今の先生が英語を教えていくのには、限界があると思います。それよりは漢字等、日本語をじっくり教えてほしいと思います。
小学校でなんか習わなかったけれど、私自身は英語に不自由したことがない。小学生に必要なのは日本語力、特に理解力を養うべくなるべく多くの良い日本語に触れることだと思うから
急に中学校から色々な教科が増えて環境にも順応しなくてはならないので、英語は小学校からあったほうが良い。
早いうちから興味を持たせることは良い事だと思います。しかし、正確な発音やリスニングを教えるのは大変なことだと思うので、中途半端な教え方はしないで欲しいです。
今のままでは、英語にふれる機会さえ、平等でないと感じるので。小学校の柔軟な頭のうちに、ネイティブから学ぶチャンスを、みんなに与えたいと考えるから。現在子供の学校で行われている「国際交流」のような授業でなく、「英語」があればいいと思う。
これだけ外国の人々が日本へ来ている人数が増えている世の中になってきたのに、必修化しないのもどうかと思う。海外へ目をむけるきっかけにもなると思うので、必要ではないか。
私自身社会に出て働くようになり、日本語(尊敬語、謙譲語)がうまく使えず、情けなく恥ずかしいと思うときがあります。子供にはまず正しく美しい日本語、相手に不快感を与えない日本語を勉強してほしいと思います。
単なる中学英語の前倒し的内容なら不要であるし、英会話を取得できるようなカリキュラムを公立校で実現できるとは到底思えない。教師の負担が増えるだけ。それより学習力の向上の方が大事。
少なくともビジネスの場で困っています。日本語も大事ですが、英語もできないと国際社会の競争から落ちてしまうと思います。
早いうちから楽しめる英語教育を。何年もならって結局話すことが出来ない教育は改善点が多くあると思う。
海外で活躍する方々が早くから英語を勉強していた方が良かったと言う意見を聞くし、小さいうちから習った方が抵抗無く英語になじむと思うから…。
まずは日本語。もっと日本語をきっちり教えてほしい。言葉の乱れ、語彙の少なさ、などそっちの方が気になります。
30年前、私の妹が小学生の時、2年間週1回英語教室に行っていて中学生になってからも英語が得意でした。特にヒアリングがよく出来ていました。そして大学は英文科に進みました。一方、中学で初めて英語を習った私は簡単な英会話でも?状態で、外国人に話しかけられると今でも固まってしまいます。適応能力の高い小学生の間に国際社会理解に役立つコミュニケーションツールとして英語を楽しく学べたらと思います。子供には英語を学んで世界中の人と友達になろうと言っています。
早くから英語に馴染むことには賛成ですが、必修科目に入れるくらいならもっと国語の授業を充実させるべきではないかと思います。それにゆとり教育の時間数の中に英語の授業を組み入れるのは他の大切な勉強が削減されそうで怖いです。
英語の読み書きでなく、コミュニケーションツールとして「聞く・話す」訓練を期待する。小学生の英語教育に「目」は不要、はやいうちに「耳と口」を使えるようにすべきだ。
これからの世代は、国際化の中で生き抜くために英語は必修だと思う。ただし、日常会話など実践的な「英語」を教えてほしい。受験のための英語なら「不必要」だ。
『音楽』で英語の歌を取り入れる。『生活』で外国人と交流する。・・・まずは、英語に親しむ程度で良いとは思いますが・・・
語学は、子供の頃から慣れ親しんだほうが、習得できると思う。 ただ、母国語である日本語も、英語以上に 教育していかなければならない。
これからのコミュニケーションには必要になってくる物だと思います。早く始めた方が、耳が良いので、綺麗な発音が身に付くと思います。
子供たちが、英語に親しむことは、とてもいいことだと思います。でも、他にもっと、優先すべきことがあるのではないかと思います。限られた時間の中で、何をすべきか。基本に返って、考えてみて欲しいです。
自分の体験から考えると、自分で学びたいと思わないと学習しようと言う意識は生まれないと思う。その、意識を早くもってもらいたいので、早期から英語に触れる機会をたくさん作りたいと思うので。
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[ 18] 「小学校英語の必修化」どう思う? 新着順のコメント10ページ目 【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】
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いよいよ、今年も7月20日が近づいてきた。昔の「海の記念日」、つまり、現在の「海の日」である。海運国家の日本にとっては海事思想を普及するためには良い一日となるようで各地で海に関する行事が行われる。
私のホームページの「船乗りの発言集」にも、昨年、同じような海の日に関する記事を掲載したが、毎年、この日が来ると海運国でありながら、海運国らしくない日本の行く末を憂えるのである。元船乗りとしての立場で色々と感じることが多い。この日が来る度に「これで良いのだろうか?」と自問自答している所である。
前にも書いたのだが、海の記念日が7月20日に決まったのは、明治天皇が明治9年、東北ご巡幸の帰りに、灯台視察船である「明治丸」で、青森港から函館港を経由して横浜に帰着なされた日に由来すると聞く。海の記念日が「海の日」と改められて国民の祝日になったのは、平成8年の7月20日からであった。今年で4回目の「海の日」となるわけである。
しかし、海の日の祝日で休めることは良いとしても日本国籍の船舶が極めて少ない現実を憂えるものである。いわゆる、「ガイドライン法案」というものが国会で成立しているが、守るべき日本の船舶が少ない現状では海上自衛隊の艦船も手持ち無沙汰であろう。いざ、日本周辺が非常事態となったとしても、日本に資源を運んでくるのは外国籍の船舶ばかりなのであるから、守りたくても守れないことになる。
ほとんどの工業原料や食糧を海外に頼っている日本は、天然資源(原油、鉱石、木材等)や大量の食糧(大豆、小麦、トウモロコシ等)は船でなければ、日本に持ってこれないのである。その船舶が敵の攻撃にあって、物資が輸入できなくなるような非常事態が発生したとしても外国船は守れないのであるから、危険を避けて外国の船舶は日本に寄港しなくなるであろう。そこで日本の船舶を使って物資を輸入することにしても、船腹量の少ない日本商船隊では十分な量の物資を輸入することは出来ないのではないかと危惧している。
現在、日本の食糧自給率は40%代であるという。それも「米」がほとんどでその他の食料品はほとんど輸入に頼っているのが現状である。国内産の食糧よりも外国産の食糧の方が安いこともあるが、農薬や食品添加物などを考慮すれば国内産を食べたいものである。
飽食の時代だといってTVなどでは、やたらと「グルメ」志向の番組が放送されることが多い。また、色々な場所で出される豪華な料理などが食べ残されて「残飯」となって捨てられることが多いと聞く。食べる量よりも捨てられる量の方が多いとはどう言うことなのであろうか?。
飽食の時代は長く続かないことは確かなことである。世界の人口が増加することや天災などで食糧の生産が低下することがあるからである。ダイオキシンや環境ホルモンの影響、化学肥料による地力の低下などもあって、農産物や海産物の生産も低下してくるであろう。もっとも気をつけなければならない事は、買いたくても相手が売ってくれなければどうにもならないという事実である。
つまり、FAO(食糧農業機構)などでは食糧を生産している国の食糧販売の権利は保障しているが、買う側の権利は保障されてもいないし、規定もしていなからなのである。
例えば、アメリカの大豆が不作となり、アメリカ国内の消費量を満たすことしか出来ず、輸出に廻せる大豆が無いとなれば、日本は大豆を輸入できないことになるのである。売ってくれないからと言って訴える場所がないのである。また、金があるからといって売ってくれるとは限らないのである。
従って、これからでも遅くはないから食糧の自給率をアップすることが肝心ではないかと思っている。農業人口が激減し、高齢化している農業者、国の農業政策を見ていると自給率のアップを期待する方に無理があると思うと物凄く残念ではある。
いずれにせよ、自国の船舶をある程度増やさなければならないと思う。そのためには、自国の船員の養成を急がなければならない。日本船員のレベルの高さは定評がある。
しかし、その船員を養成する機関を出ても船乗りになる学生が少ないと言う。乗る船が少ないこともあるが、日本船員の人件費が高すぎるため、人件費の安い外国の船員を雇う船会社が多いことにも原因がある。さらに、日本においては船員の地位が低いレベルのままであることも、船員を希望する者が少なくなっている事につながっている。海難事故が多くなっていることにもつながっているのである。
日本国籍の船舶、日本人の船員を擁して日本商船隊の再構築を図っていただきたいと思うのは私だけであろうか。効果効率、利益優先の考え方で海運政策をやる時代はもう終わりにしたいものである。もちろん、食糧自給率の向上は急がなければならないし、新農業基本法も大切であるが現場の農業者の年収が多くなるような政策を早急に取っていただきたいものである。「生かさず殺さず」の江戸時代からの政策はもう止めにして欲しいと思う。
最近は、農業をやりたいという人達が増えてきていると言う。そういう人達が農業に従事する場合は国や県が助成金でもだして、積極的な援助をしていただきたいものである。農業者の人口を増やして欲しいものである。
リストラクチャリング(企業の再構築)が盛んであるが、なにも陸上の特許ではない。海上では昭和48年代からリストラが始まっており、今では見る影も無いほど海運界は衰退してしまっている。漁船も北洋漁業から撤退、捕鯨からも撤退した。さらに、これからはマグロ船の減船も始まると言う。商船隊も衰退したが、漁船も減船に減船を重ねて見る影もなくなるのであろう。リストラと言うものは次への発展を期待してやるものではないのか?。ところが海運界はそうならなかったのである。発展しなかったのである。
現在、問題となっている「マラッカ海峡の海賊」なんかは27年も前から問題にされていたものであるが、インドネシアの政情不安定と日本人船員が少ない「混乗船」が増えたために、海賊に襲われやすくなってしまったのである。乗組員が少ないために、十分な見張りができないこと、さらに、日本船は武器を携帯していないことも海賊にとっては襲いやすい対象なのである。安全のためには少なくとも1名の通信士を乗船させ、非常事態に備えるべきではないのだろうか。
日本海運の衰退と同じく、日本の農業も衰退している。そのために、海から獲れる食糧も「輸入」が優先されることになり、「山の幸」も「海の幸」も全て外国からの輸入にたよることになってしまう。食糧輸入大国で良いというのであろうか。さらに問う。海運国の日本はこれで良いのであろうか。4面海に囲まれた日本は海運国家ではないと言うのであろうか。食糧安保を考え、日本の安全保障を考えれば、海運に力を入れて行かなければならないのではないのかと思っている。
蒙古来襲以来、海によって助けられ、海を渡って朝鮮や中国から文化を輸入してきた日本は、海運国ではないのであろうか。疑問だらけである。慙愧にたえないのである。
農業の再構築、海運界の再構築、行政システムの再構築、企業の再構築、社会制度の再構築、雇用能力開発の再構築、教育制度の再構築・・・・・・・・・。
「再構築」ばかりである。戦後、54年も経過した日本の制度疲労がでてきていることは理解できる。しかし、
・蒸気機関車が生き残っているように青函連絡船が年に一度運行できるような国としての余裕が欲しい。・YS−11を年に一回、航空祭で飛ばせるような余裕が欲しい。
いやー、疲れますね。大失業時代、「大学は出たけれど!!」ですよね。学歴偏重が崩れて実力主義になって行く流れは止まらないであろうし、年功序列、終身雇用制度では国が成り立って行かない経済社会情勢にあることも理解できる。そうであれば、情報通信産業も介護福祉産業も拡大することで雇用の増大は期待できるが、海運、農業分野にも若い人が就業できるようにすることを考えて欲しいと思うのである。
まして、中高年が就業できる分野は最先端ではなく、地球に優しい分野で、日本経済の中心となって頑張ってきた「団塊の世代」が取り付く分野は、心が休まる、土に帰る、人を育てる分野ではないのかと思う次第なのである。
海の日に思うことで色々と述べてきたが、現実は厳しいものがある。どの方向へ日本が進もうとしているのかは分からない。
文部省や専門学校関係が労働省の開設する施設に文句を言ってきているところをみれば最悪の環境にあることは間違い無いと思う。文部省を含め、その関連の団体が重箱の隅を爪楊枝で突付くようなことをして、労働省関係の施設にチェックを入れている状態では将来の発展は見こめないと思っている。
18歳人口の減少は止められない事実であるが、200万人程度の中で、たかが数千人程度の学生を扱う労働省関連の教育訓練施設に苦言を呈しているようでは将来は全くの闇である。ドイツなどの制度(マイスター)を見習っていただきたいとおもうのであるが、次世紀にむけても学歴、知識偏重で行くような方針なのであろう、若者が将来の進路を決める選択肢を狭めて行く方針に進んでいるように見えてならないのである。いくら知識や学歴があったとしても、「物作り」の現場ではその知識や学歴は全く役に立たないことが多いのである。
教育といえば「日の丸」と「君が代」が問題となっている。私が船舶通信士として10年間、国際航路の船舶に勤務したわけであるが、何処の国の港に入港した時でも停泊している船の船尾に「日の丸」の旗が掲げているのを見ると「お!、ご同輩!」と言う感じで、ひどく日本国を意識した記憶がある。「日の丸」の旗は、学校で言えば徽章のようなものであるから、日本の船舶にとっては国籍を表す雄一の手段として「日の丸」の旗を掲げるのである。
もし、私が外国で日本の国旗はと訊ねられたら、反射的に何の疑問を持つことも無く、それは「日の丸」と答える。他に国旗としての旗が無いためである。船舶にとって船籍を表すため掲げる国旗は「日の丸」の旗以外にないのである。終戦時に新しい国旗でも制定して、ある期間を置いてから、新しい国旗の選択をするような機会があったのであれば「日の丸」か「新国旗」かを決めることができたのであるが、今日に至っても世界的に見て日本国を表す旗は「日の丸」、白地に赤くの旗しかないのである。
いまさら法的に日の丸の旗が国旗であるとすること自体がナンセンスであると、「元船乗り」は思うのである。日の丸の旗が国旗であることに違和感は全く無いのである。ある人は「日の丸」の旗を見るとかつての「軍国主義」で戦争で多大な被害をもたらした旗であると思うのであろうが、それをやったのは人間であり旗ではないのであるから、「日の丸」=「戦争犯罪」とはなり難いのである。
日の丸が国旗として法的に決めることには異論はない。船乗り時代は日の丸の旗を掲げて世界を航海してきたし、航海中は国旗敬礼をしてきたのであるから。しかし、教育の現場で強制的に国旗は「日の丸」の旗であると押し付けることには賛成できない。自然に「日の丸」=「国旗」であると認識されるまで待つことが大切ではないかと思っている。
ただ、「君が代」が国歌であるかと問われると「必ずしもそうではない」と言いたい。とにかく雅楽の音調であるから、極めて歌い難いものとなっている。演奏であれば「荘厳」で重みがあるものだと思う。であるが声を出して歌うとなると極めて難しい。高校時代に音楽を選択した私にとっても歌うのは高域での発声が辛いのである。次の世紀に向けて新しい国の歌を作った方が良いのではないのかと考えているところである。どうしてもと言うのであればメロディーはそのままであったとしても歌詞を変えて歌うようにしてみてはどうかと思うのである。
これまで、海運政策や食料の自給、リストラ、国歌・国旗問題や教育問題などに関して、7月20日(火)の「海の日」にちなんで感じる所を述べてきた。つまり、「海の記念日」が国民の祝日である「海の日」に変わっただけだとは考えて欲しくないのである。「海の日」は、日本が次世紀にどのような方向に進んで行くのかをじっくり考える日にしていただきたいと思うのである。日本の将来は海運政策を無視しては成り立たないと思うからでもある。
一般の人達にとっては、海の日である20日になっても日本が海運国であり、海とは切り離せない歴史を持っている国だとは思わないであろう。日の丸の旗も船と深く関係して出来あがったこと。現在進行中の行政改革もリストラも海運界がたどった道を進みつつあること。「海の日」が海事思想の普及を目的としていることを全く意識しないで過ごし、海水浴や釣りにうつつを抜かす事で終わってしまうことを心配するあまり、この稚拙な文章を書いたのである。
君が代の歌も古い歴史を持っており、それなりの意味があることは分かっているつもりである。しかし、畏れ多いのか「新しい国歌の制定」をしようと言う意見が出てこない。掛け声ばかりで「これでどうか!」と言うような「新曲」の出現は見られない。反対の意見ばかりで対案がでてこないのである。
私としてはオリンピックや相撲でおなじみの曲であるから、歌詞だけを新しいものにして曲はそのままでも良いと思っている。「君が代」が国歌であると法律で制定するのであれば、今の物がそのままで通るようなことだけは避けていただきたいと思うところである。
明るい話しが全く出てこなかったが、元船乗りとしては国を憂えることばかりで発展的な明るい話題を提供できなかったことに対して深くお詫びを申し上げる次第である。断わっておくが、私は国粋主義者でも右翼関係でもない。
ただ、船乗りと言う世界で飯を食ってきた経験から発言させていただいているだけなのである。私にとって「海の日」は元船乗りOBとして特別な日なのである。
最後になるが、私が船員時代に同僚と飲んだ酒席で良く歌った歌があるので、紹介して少しでもこの場を盛り立てて失礼したいと思う。この歌詞は作者不詳であるが、船の航海、機関、通信などの各部門で歌詞を自分の職務に合うように変更して歌っていた。例の「ダンチョネ節」の節で歌うのである。
「左の写真は、1972年に貨物船・祥川丸の2等通信士として乗船し、パナマ運河を通過中にボードデッキで写したものである」
1.明日は船出〜かぁ、おなご〜り惜しやよぉ〜、雨の十日もね 降れば〜良い ダンチョネェ〜。
2.雨の十日はよ、まだま〜だ、お〜ろかよぉ〜、槍の千本もねぇ、降れば〜良い ダンチョネ〜。
3.北はアラス〜カぁ、南はパラオよぉ〜、トンツートンツのね、旅が〜らす ダンチョネぇ〜。
この歌詞は延々と続くのであるが、ここでは省略したい。いずれ機会があればオフラインでご披露したいと思っている。これにて「海の日に思う」の記述を終わりたいと思う。来年の「海の日」には、こんな暗い話しを書かないようにしたいと思っている。

[ 19] 海の日に思う(JOMON)
[ѥ] http://www.jomon.ne.jp/~ja7bal/daysea.htm

 

 


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